仮面の告白、演技上等
私は女優、それでいい
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ひさしぶりに初めましての状況があった。友人が友人を紹介してくれた。
もともとの友人はもう20年以上の付き合いで、私の性格をかなりよく知っている方になる。こう書いて改めて感じたが、自分のことを理解してくれていると思える人は5人ぐらいしかいない、その理由はというと私は常に演じているからだ。
自分をさらけ出す、ということは、中生を7杯飲んで図らずもゆるむ時以外には好んでしない。わかってほしい気持ちよりも、どうせわかってくれるわけがないという気持ちが先に来る。それはこれまでの数十年に積み上げられた在り方で、ひとつは端的に言うとわかってもらおうとしてもわかってもらえない経験しか無いに等しくあきらめた行く末、ふたつめはこれだけ真面目に考えているだなんて普段のおちゃらけた姿からは全く想像されず、すこし気を許した時に「こんなに考える人初めて見た」「真面目すぎる」「考えすぎ」と100%言われるので、「わかられてたまるか」的な気持ち。
月並みだが、家族の前でも素でいたことがない。ムードメーカーでものわかりがよく「まあまあ細かいことはいいじゃん」と笑っていなし悩みがなく楽しく生きている娘であり姉であり孫であり姪でありいとこであり伯母である。立ち位置は仲裁役・緩衝材、彼らから見た性格は能天気。本当はめちゃくちゃ繊細で常に悩んでいる性質だが、だれも知らない。家族には悩みを打ち明けたことがない。
友人の前では、先輩の前では、後輩の前では、上司の前では、どれも違う顔。その場に求められるキャラクターを瞬時に読み取り、そう振る舞う。基本は「いつも明るくてやさしくてちょっと気が弱くてだいたいOKな人」で、アレンジが加わる。
これを意識してやっているわけではなく、瞬時にそうしてしまう。もうデフォルト。しっかりしていないといけないケース(クライアントとの交渉とか不条理な時のクレームとか)ではふにゃふにゃしないし声のトーンも下げるけど、それ以外はもはや反射。
だからいつも緊張している。どんなキャラならマッチするのか、見極めなければその場にいられないから。合わせてもらいたいだなんて誰も求めていないし期待もしていないだろうに、勝手にそうしてしまい勝手に疲弊する。誰得?人と会うとどんなに楽しくてもどっと疲れてしまう。だれも悪くない悲劇。
その初めましての時、私のことをだいぶ知っている友人の前だったので、物理的に繕うことができなかった。仮に相手の出方をうかがったのならば「どうしたの、緊張してるの?いつもとちがう」と友人につっこまれることがわかっていたから、そうできなかった。
そうすると何が起きたかというと、数時間で打ち解けた。かなり自己開示できた、期せずしてしてしまった。驚いた。(もちろん前提として友人の友人がとてもとても良い子だったというのはある、それが9割)
女優でいい、これも生存戦略だった。だけど仮面を付けない場面があってもいい。