愛していた部屋とのとつぜんの別れ、そして

愛していた部屋とのとつぜんの別れ、そして

「部屋が2つあって、リビングダイニングで、トイレとお風呂が別で……」とざっくりした希望だけで内見した3軒中3軒目でなんとなくここかなと思えた部屋に住んで、気づけば6年以上。

 

廊下がなく、2つの部屋に加えてリビングダイニングには2つの収納を備えた効率的で包容力のあるその家は、効率重視で合理性を重視する身には最上級だった。

 

3面採光で、風の通りがよく、全部屋が完璧な長方形というところも愛していた。明るく、季節を目と肌で感じられ、どんな家具の配置も許容できる、欠点のない家だった。

 

引越しを考えることは6年住んでいて一度もなく、生活していて不便を感じることもなかった。

 

そんな蜜月関係が、とつぜん終わりを迎えることに。貸主の都合で引越ししなければいけなくなった。自分の意志ではない予想外の出来事だったので、引越しというただでさえ労力のかかる作業にかかる負荷は最小限に留めたくて、住み慣れたエリアから出ることは考えられず。かといってこのエリアでは今以上の条件では到底見つけられないこともわかっていた。6年前の引越し時でさえ割安と言われていたのに、6年のうちにあれよあれよと賃料相場が1.5倍近く上がっていっていることを知っていたから。

 

とはいえ、家を去らなければいけないことは既定路線。次の家を探さなくてはいけない。

 

今の家のスペックを細かく書き出し、スペックや数字で表せられない住んで感じた長所も言語化。今ある物を収納するためにどのぐらいのスペースが必要か、なども。

 

現住居の家賃を基準に探すと確実に平米数や部屋数が減り、平米数や部屋数を基準にすると家賃1.5倍は下らない。不動産屋でエリア内で候補を出してもらい10軒近く内見しても現住居以上の家はなし。わかっていたことでもこの事実に焦る。改めて優先順位をまっさらな気持ちで考え直してみたところ、部屋数と間取りの優先順位が大きいことに気づき、試しにエリアを外れほかの街でも物件を抽出してもらい、内見すること20軒。

 

不動産は運と縁、探している時にオープンな家しか候補になりえない。今目の前にある候補から選ぶしかない。期限が決まっていなければ理想の物件が出るまで気長に待てばよいけれど、今回はそうはいかない。家探しに限らず、自分で決めたという事実が納得感につながる重要な鍵であることは経験上わかっていたので、すこしでも選択肢を最大限に持ち主体的に選択できるようにと早めに家探しを始めてはみたものの、迫る期限に残された時間と焦る気持ちはきれいに反比例していく。

 

そもそも自分の意志で決めた引越しではないので、内見も気が進まない。良いところを積極的に見つけ褒めるという普段の特技が、全く発揮されない。どの家も「うーん……なしではないけどねえ」という温度感になってしまう。そんな自分にも悲しくなってくる。

 

結局6年前のようにピンとくる物件はなく、消去法で20軒のうちの1軒に決定。間取りと平米数は希望通りだが、むしろそれ以外の条件はほとんど満たしていない。とくに採光面やお風呂まわりは、本来なら内見するかしないか決める段階で候補から外すスペック。ほかにも現住居で気に入っていた風通しや収納もグレードダウン。納得して引越しする心境には到底なれず、「これは仮の住居、いつでもまた引越せるし」と自分に言い聞かせていた。

 

そして迎えた引越し。引越し業者に驚かれるほどの量の荷物(主に本と雑誌と服)はぜったいに新住居に入りきらないと絶望していたが、なんとか備え付けの収納に納まり始めた。そこから、心の風向きが変わり始める。

 

「あの荷物、ぜんぶ納まったね……」
「持ってきたソファ、色も大きさも前より部屋に合ってない?」
「天井から床まで窓って気持ちいい」
「洗面所の収納が前の家の3倍かも」
「ダウンライトってやっぱり部屋が広く見える」
「食洗機最高!!!」
「寝ててもテレビ見てても干渉なく仕事できる造り、今向き」

 

など、1日1日過ごす度に、じわじわと良いところを発見。

 

そして極めつけが、部屋からの景色。これは前住居では可もなく不可もないポイントだった。目の前に高い建物があるわけではなく抜け感はあったものの、わざわざ座って眺めたい景色でもなかった。

 

一方新住居では、窓から見える外一面が緑。海や夕焼けは好きだけど、緑に関しては夏の軽井沢以外はとりたてて癒される経験もなく、内見時も引越し日も窓からの景色には「おーきれいだねー」ぐらいだったのに、朝起きてカーテンを開けた時、キッチンからふと顔をあげた時、リビングでなにげなく外を見た時、どの瞬間も悠然と構える緑が美しくて美しくて、いつも目が離せない。

 

晴れの日は言うまでもなく、曇りでも雨でも嵐でも、朝でも昼でも夕方でも、夏でも秋でも冬でも春でも、圧倒的な常緑樹とすこしの針葉樹と空が圧倒的に存在している。日の光の強さと角度、風の有無や向きによって、緑の表情はめくるめく変わる。海に比べて緑は動きがないと思い込んでいたが、規則的に近い動きを見せる海、些細な変化を断続的にまとう緑と、それぞれの良さがあることにも初めて気がついた。

 

この緑のおかげで、東南向きではなくても大きい窓があれば1日中明るさが確保されることや、風の通り道が直線で確保できていなくても風が抜けることをサプライズのように受け止められた。

 

思えば、採光も風もお風呂まわりも、数多ある物件のなかから絞るためのひとつの基準であり、「あればなおよし」の”歓迎条件”だった。掲げた条件やスペックは、快適に生活するための手段でこそあれ、目的ではなかった。それなのに、いつしかそれらが”絶対条件”になっていたのだった。まるでこれらを満たさなければ欠陥であるかのように、減点の材料にしていた。手段であり基準に過ぎないはずが、とらわれるあまり目を曇らせ、目の前の状況をフラットに見て判断する力を鈍らせてしまっていた。

 

なんだか既視感……と思ったら、好きで好きでこのまま長く一緒にいるだろうなと思っていたのに突然別れを切り出された元彼、こちらから別れたわけではないから未練もあるし、新しい出会いを求めても元彼と比較しては元彼を美化しては新しい出会いに前向きになれない。この人だったら気になるところもあるけどやっていけるかなと消極的に選んだ相手が、気になると思ったところは実はぜんぜん大したことがなく、むしろ知るほどに良さを発見していき、気づけば大好きに……というまさにこの通り。

 

今回も、自分から望んだ引越しではないのだから、何の不満もなかった前住居以上に新住居を気に入るのは後ろめたい気持ちがあった。いったい何に抵抗していたのだろうか……良く言えば律儀、良く言わなければ頑固で執着心が強い(悲しい)。

 

きっかけは何であれ、強制でも意志でも変化が訪れた時、過去はひとつのケーススタディーとしてファイルに収める潔さと、新たな選択肢をフラットに捉える勇気と、選んだ対象を選んだ瞬間から全力で受け入れ認める心づもりとを持ち合わせていたいものだ、と、引越しの一連で実感したのであった。

 

好きは更新できるし、更新していい。更新できた時に新しい基準ができて、それは次の選択の目安にしてもいいし参考にしてもいい。でもとらわれる必要はない。完璧な物件なんて自分で設計しない限り出会える確率は低いから、妥協や消去法という捉え方ではなく、比較して点数をつけるのではなく、基準に照らし合わせて◯や×をつけるのではなく、加点方式で絶対評価する。

 

超えられないと思っていた好きでも超えられる。
超えた時、素直に認めてよろこべると、世界が広がる。

 



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