なりたくてもなれないとわかっているのもまた幸せ

なりたくてもなれないとわかっているのもまた幸せ

妹とは何もかもが正反対。

 

あまりにも全てが真逆で、共通点は両親と血液型とマックのポテトが好きなことぐらい。ブルベとイエベ、骨格ストレートとナチュラル、黒髪直毛と茶髪ねこっ毛、勉強好きと運動好き、揚げ物好きと塩辛好き、お酒に弱い強い、ショートケーキが好きとにがて、活字中毒と読書嫌い、一般受験と推薦、メンタルはしゃぼん玉と鋼など、とにかく先天的にも後天的にも面白いほど似ていない。私が継続した習い事を妹は体験入学でやめていた。世渡り上手さは天と地の差。

 

生まれた時から色白で華奢で華のある妹をいちばん近くで見てきたので、現実を飛び超えた理想を見ることはなかった。妹は血管が透けるほど肌が白く、毛穴が全く目立たない。私の方が何倍も肌の触り方やクレンジングやファンデの成分に気をつけてきたけど、そこまで頓着の無い妹の方がお金も時間も手間もかけずに美しい肌を保っている。

 

この事実に早々に気づいたことは今となっては結果的に幸いだったと思う。同じ遺伝子と生活環境を持ちながら、生まれながらの陶器肌とそうでない肌とがあり、スタート地点が違うのだから陶器肌をベンチマークすること自体が誤ったゴール設定だとわかった。

 

これは肌に限った話ではなく、足の速さや体型もそう。妹は常にリレーの選手だったけど、彼女がただ走るだけで出すタイムを私が狙うには、毎日の筋トレにストレッチ、速く走るメカニズムの理解と専門コーチによる指導、反復練習が必要だろう。

 

姉妹で新体操クラブに通っていたが、妹は何もせずとも各種関節が柔らかく、膝が前に出ていないバレエ足、私は全ての関節が固いうえに膝が出ている。新体操は大好きだったが、そもそも妹とスタート地点が違いすぎてこの先自分が花咲くイメージが全く持てず、塾と曜日が重なった時に塾を選んだ。

 

このスタート地点の違いの存在を悟った時点で、最初からハンデのある領域をわざわざ選ばない、という手を選んだ。ハンデを覆したいほどのめり込むものも幸い無かった。これが自分の生存戦略だった。本能的に感じとるものがあったのだろう、年の近い姉妹は否が応でも度々比較されるため子ども心にもダメージは大きく、それゆえの適応だったと思う。(妹は妹で比較され、彼女にも彼女の地獄はあった。彼女の生存戦略は「比較されないように異なるアプローチをとる」だったように思う。)

 

それぞれの地獄があるから、決めていることがある。「地獄をすこしでもマシにやり過ごせる方法」を探すのではなく、「ここではない天国を求めて外に出る」ことを手段に選ぶことだ。現状を変えたいと思うと今いる地点を基準に考え始めてしまいがちだが、今いる地点が正しい保障はそもそも無いのだ。近視眼的になりがちな無意識の沙汰を取っ払って、「その先に何を求めるのか」から逆算してオプションを広げて最適解を選ぶスタイルでありたい。

「イエベ春になりたい」は無理だけど、そもそも「イエベ春になることが目的じゃなくて「(イエベ春が使いこなせる)パステルピンクやレモンイエローを使ってみたい」が欲求だったりするから、目的(と思いがちなもの)が真なのか、その目的でどうなりたいのか?を問う癖をつけておきたい。

 

スタート地点の違いが存在することを客観的に理解したおかげで、「がんばればなれる」が理想論であり幻想であることも実感し、自分の最適解を合理的に考えるようになれたのは私にとっては幸せだった。言い換えれば「あきらめが早い」「努力の先の喜びを知らない」と見えるかもしれないが、あきらめではなく切り替えの早さだし、努力は苦難などマイナスからゼロにするよりプラスに掛け算する方に使う方がリターンが大きくメリットを感じるから、問題ない。呼吸するように高得点をとれる国英社、1学期の中間テストで赤点をとる理数、理数を平均点に上げるより、国英社で上位に入る方を選んだ。

 

自分の性格、オールラウンダーと一芸のどちらになりたいか、どこにレバレッジかけるか、自分で決めるのが大事だよね。

 



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